Angelo – “SIGHT” MVで感じたこと

Review
広告

2022年1月末で無期限活動休止を発表しているヴィジュアル系ロックバンドAngeloの最後のアルバムより”SIGHT”のMVが公開された。

Angelo「SIGHT」MV
広告

サウンド・映像

これまでになかったやさしい曲調だ。Karyuのギターソロもここまで長いのは珍しいし、最後の伸ばすところはグッとくるね。アウトロはギルがソロっぽいメロを奏でているのもいいね。ボーカルは、Aメロでさびしい感じであったが、Bメロで新しい雰囲気になり、サビでAngeloらしくなる。これはアルバムに1曲ずつ入ってきたキリト作曲のバラードだろうか。管理人的にはキリト作曲のバラードが毎回の楽しみであり、これがMVとして公開され、多くの人が知るきっかけになることは喜ばしい。

Angeloの記念日である10月4日(天使の日)のライブ映像を使っており、全員が黒服で決めているのもいいね。

歌詞

歌詞はキリトの今の心情を幼少のころの自分に言い聞かせているような気がする。彼の好んで使用する「光」「雪」も入っている。

今のキリトが幼いキリトに向けて前バンドのPIERROTの終わり、そして現在のバンドAngeloの終わり、もしかしたらほかの終わりについても含めて、「終わらせることのつらさ」と「それに伴う成長(=研ぎ澄まされる視界=”SIGHT”)」を説明していると感じた。

終わるたびに新しい誓いを刻むって、キリトのソロの”DECIDE”にもあったよね。「この腕に刻んであるから」って。「両腕に刻んであるから」って。

終わるつらさで雪景色の中で足を止めた幼いキリトの背中に、今のキリトが背中から近づいて、でも、たぶん言葉はかけていない。上述の説明もしない。

そのわけは幼いキリトはすでに歩き始めているから。あの人(=大切なファン)のために。

バンドの終わりという悲しい出来事を繰り返す運命(=螺旋)を抜け出すために。

キリトが望む刻(=キリトやバンドメンバーやファンが幸せを感じる世界?)に到達するために。

今バンドの終わりを迎えるキリト→幼いキリトに説明に行く感じなんだけど、実は幼いキリトはすでに歩み始めているという、一見すると「あれれ、どういうこと?」ってなるんだけど。螺旋=繰り返すものは哀しみだけではなくて、今キリト→幼いキリトの流れも含まれているのかもしれない。

結局、幼いキリトは自分で歩き出せていた。その時点で、未来に起こるバンドの終わりを知っているか知らないかはわからないけれど。幼いキリトにとってはあの人=大切な人=弟のKOHTAかもしれない。とにかく、今キリトが何もしなくても幼いキリトは歩き出していた。キリトは力強かった。だから、今キリトも安心した。管理人にはそんな世界が見えた。

キリトらしい歌詞と音の世界だ。映画みたいに、情景が浮かんでくる。バンドが終わることの苦悩。それでも前に進んでいく原動力はやはり大切な人のためなのだと。グッとくるね。

別の解釈として、君=ファンと読むこともできて、哀しみはつらいだけではなくて、強くなれるはずだという意味にもとれる。

アルバム”CIRCLE”に向けて

キリトのソロがよい作品だったのは、つらいPIERROTの解散(解散の前の苦悩も含めて)という出来事があったからではないかと考えている。

無期限活動休止を発表して、最後の作品として発表する”CIRCLE”は、キリトのソロと同じ状況である。またよい作品を生み出してくれるに違いない。

“SIGHT”がよかったので、期待している。11月17日が楽しみである。



コメント

  1. […] […]

タイトルとURLをコピーしました