リッチー・ブラックモアに選ばれたボーカルたち

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前回ロニー・ロメロの記事を書いて、改めて思い直したのがリッチー・ブラックモアのボーカルを発掘する才能である。もしかしたら、プロデューサーやマネージャーなど関係者から情報が入ってくるのかもしれないが、最終的に起用するか判断するのはリッチー・ブラックモア自身であることから、彼の功績と言ってよいだろう。リッチー・ブラックモアのバンドの歴代のボーカルのその後をまとめてみた。

DEEP PURPLE時代(1967年~1975年、1984年~1993年)
イアン・ギラン
デイヴィッド・カヴァデール
ジョー・リン・ターナー

RAINBOW時代(1975年~1984年、1995年~1997年、2016年~)
ロニー・ジェイムズ・ディオ
グラハム・ボネット
ジョー・リン・ターナー
ドゥギー・ホワイト
ロニー・ロメロ

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イアン・ギラン

イアン・ギランは現在のDEEP PURPLEのボーカルで、同バンドがロックの殿堂入りを果たしていることから活躍ぶりは言うまでもないだろう。在籍は1969年~1973年、1984年~1989年、1992年~現在に至る。また、DEEP PURPLE脱退時はIAN GILLAN BAND(1978年~1982年、のちにGILLANと改名)で活動したり、BLACK SABBATH(1982年~1984年)に在籍したりした。

イアン・ギランとリッチー・ブラックモアがタッグを組んでいた中での名曲はやはり”Highway Star”だろう。つやのある低音から高音のシャウトまで使いこなす名ボーカルだ。

DEEP PURPLE – ”Highway Star”

デイヴィッド・カヴァデール

デイヴィッド・カヴァデールは現在のWHITESNAKEのボーカルで、同バンドが世界的に成功を収めたことを考えればその活躍は明らかだろう。DEEP PURPLE在籍(1973年~1976年)でリッチー・ブラックモアがタッグ組んでいたのが1975年までであった。リッチー脱退後にDEEP PURPLEは解散し、デイヴィッド・カヴァデールはWHITESNAKE(1978年~1990年、1994年、1997年、2002年~)を結成した。バンドにはDEEP PURPLEのキーボードのジョン・ロード(1978年~1984年)やドラムのイアン・ペイス(1979年~1981年)が在籍したことがある。そのほかにも著名なミュージシャンが在籍しており、その中にはドラムのコージー・パウエル(1982年~1985年、RAINBOW、MICHAEL SCHENKER GROUP、YNGWIE MALMSTEENなど)もいた。

デイヴィッド・カヴァデールとリッチー・ブラックモアがタッグを組んでいた中での名曲は”Burn”だろう。低音~中音がいい味を出している。ちなみにこの曲のサビの高音はベースのグレン・ヒューズが歌っている。このコンビネーションのよさも楽曲を際立たせる。
デイヴィッド・カヴァデールはライブパフォーマンスもかっこいい。男としての色気があり、歌唱だけでなくスタイルやライブもいかすボーカルである。

DEEP PURPLE – ”Burn”

ロニー・ジェイムズ・ディオ

ロニー・ジェイムズ・ディオについてはこちらを参照されたい。

ロニー・ジェイムス・ディオ 没後10年
ロニー・ジェイムス・ディオの功績をたたえて。

グラハム・ボネット

グラハム・ボネットはRAINBOWに1979年~1980年在籍し、リッチー・ブラックモアと活動した。脱退後にはMICHAEL SCHENKER GROUP(1982年、2016年~)、自身のバンドALCATRAZZ(1983年~1987年、2007年~)を結成した。同バンドではイングヴェイ・マルムスティーンやスティーヴ・ヴァイなどスーパーギタリストを輩出している。スーパーギタリストのクリス・インペリテリのバンドIMPELLITTERI(1988年、2002年)にも参加した。2000年には日本のヘヴィメタルバンドANTHEMにも参加した。

グラハム・ボネットとリッチー・ブラックモアがタッグを組んでいた中での名曲は”All Night Long”だろう。短髪で白いジャケットという非ロックなスタイルもグラハムの特徴である。歌は地声でハスキーなハイトーンである。ライブではムラがあると聞くが、Loud Parkのときは絶好調だったように思う。

RAINBOW – “All Night Long”

ジョー・リン・ターナー

ジョー・リン・ターナーはソロとSUNSTORMで活動している。RAINBOWに1980年~1984年の間在籍した。RAINBOWは1984年に解散し、ジョー・リン・ターナーはソロ活動を開始する。1987年~1989年にはYNGWIE MALMSTEEN’S RISING FORCEに参加した。1989年~1992年にはDEEP PURPLEに参加し、リッチー・ブラックモアとの再び共演することとなった。

ジョー・リン・ターナーとリッチー・ブラックモアがタッグを組んでいた中での名曲は”I Surrender”だ。RAINBOWがポップスになり、アメリカで人気が出た。その中でも、リッチーの哀愁感が漂うギターソロが神がかっている。ジョー・リン・ターナーのボーカルは線こそ細いが器用だと思う。RAINBOWでは前任ボーカルのロニー・ジェイムズ・ディオとグラハム・ボネットと比較されて正しく評価されなかったように思うが、YNGWIE MALMSTEEN’S RISING FORCEでのジョー・リン・ターナーのボーカルはよかった。YNGWIE MALMSTEEN歴代ボーカルの中でもよく、当時のメンバーは黄金期と言われている。

RAINBOW – “I Surrender”

ドゥギー・ホワイト

ドゥギー・ホワイトは1990年代に再結成されたRAINBOWのボーカルである。1994年~1997年の解散まで。意外なことにRAINBOW以前はPINK CREAM 69(HELLOWEENのボーカルのアンディ・デリスがかつて在籍したバンド)やIRON MAIDENのボーカルオーディションで落選していた。RAINBOW解散後もROYAL HUNTのボーカルオーディションで落選している。ただ、捨てる神あれば拾う神あり。YNGWIE MALMSTEEN’S RISING FORCEに2001年~2007年まで在籍した。2013年からはMICHAEL SCHENKER’S TEMPLE OF ROCKに所属し、2016年からはMICHAEL SCHENKER FESTに所属し現在に至る。

ドゥギー・ホワイトとリッチー・ブラックモアがタッグを組んでいた中での名曲は”Black Masquerade”だ。様式美のRAINBOWのカムバックともいえる名曲を高らかに歌い上げるドゥギー・ホワイト。歌声も、そして近年では見た目もワイルドだ。YNGWIE MALMSTEEN時代でもネオクラシカルなナンバーでドゥギー・ホワイトとの相性がよかった。

RAINBOW – ”Black Masquerade”

ロニー・ロメロ

ロニー・ロメロについてはこちらを参照されたい。

ロニー・ロメロ 2020年熱いボーカリスト
RITCHIE BLACKMORE’S RAINBOW、VANDENBERG、LORDS OF BLACKのボーカルとして知られるロニー・ロメロ(Ronnie Romero)が今熱い。後述するが、バンドやプロジェクトに引く手あまたで大忙しな...

まとめ

どのボーカルも才能にあふれ、リッチー・ブラックモアのバンド脱退後も活躍している。レジェンド・ギタリストのリッチー・ブラックモアが起用したからというブランドだけではないはずだ。イングヴェイ・マルムスティーンはリッチー・ブラックモアを尊敬しており、彼とタッグを組んだボーカルを好んで自身のバンドのボーカルに選出している感は否めないが。MICHAEL SCHENKER GROUPやBLACK SABBATHなど大御所の名前が出てくるあたりがすごいと思う。ロニー・ロメロを除けば全員60歳を超えているが、いまだに現役なのがさすがである。また、そんな中でロニー・ロメロが抜擢されているので、彼もすごいのである。

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