~学生時代~はこちら。
社会人(会社員、サラリーマン)になっても、音楽を趣味として、彩りのある人生を送りたい、そんな思いでやっている。
目次
第2章 社会人時代
ネットバンド 活動期間:6年
教訓
同期バンド 活動期間:現在も継続中
教訓
第2章 社会人時代
ネットバンド 活動期間:6年
大学時代の2つ目のバンドのギターボーカル、ドラマーに声をかけスタート。「せっかく音楽演奏という楽しいものを見つけたからなにかやろう」と。大学卒業後が見えていたころである。大学という集まる場所がなくなったため、活動をインターネット上へ変えた。そう、DTM(デスクトップミュージック)デビューした。
バンド名は夜の音楽職人を意味する英語の造語。自分たちの活動が夜だったのと、ネットでの検索しやすさを狙ってつけた名前である。ギターボーカルが知識を有していたため、いろいろと教わった。オーディオ・インターフェースを購入し、DAWの1つであるCubaseも購入した。さらにボーカロイドの初音ミクも購入した。
実は大学時代の2つ目のバンドで、メンバーが集まるまでの間、作曲しまくった。MIDIという形式で作っていたが、よりリアルなものを作ってみたいと思っていた。そこに初音ミクというボーカルと、ベースの録音ができる環境が整った。正直、自分の中でスパークが起きた。新しい世界がまた広がった気がした。
バンドのホームページを立ち上げた。
主な活動は、以下のとおり。
- バンドのオリジナル曲の発表
- ソロ曲の発表
- 楽器紹介、バンド紹介などのコラム執筆
その他アーティスト写真も撮影してみた。もともと2つ目のバンドでも何枚か撮ってみたのだが。今見直すと非常に恥ずかしい限りである。まさに若気の至り(苦笑)
バンドのオリジナル曲を作るために、NetDuettoというソフトを使って、インターネット回線を通じた音楽セッションもやった。世界中どこにいてもネット回線さえあれば、スタジオに一緒に入って演奏している状態になる。これも面白かった。
しかし、長くは続かなかった。3年が過ぎたころ、楽曲制作が遅れた。そしてメンバーのひとりが音信不通にもなった。
推定原因は以下のとおり。
- ネットというリアリティ欠如
- ホームページの更新という重圧
- 楽しさを見いだせなくなった
- 仕事が忙しい
- 転勤で見知らぬ土地へ
最終的に2度の音信不通を経て、バンド会議を実施し、バンドサイト閉鎖となった。NetDuettoでのセッションはやろう、と言っていたが、残念ながら数回実施後、途絶えてしまった。
教訓
- 楽器演奏はバンドだけではない。DAWという手もある。
- 全員が同じ方向を目指していないと厳しい。
- 仕事など多忙を理由にしてしまうと崩壊する。
練習や準備をしないメンバーとは続かない。
同期バンド 活動期間:現在も継続中
大学を卒業し、就職できてめでたく社会人になった。新生活も仕事も慣れてきた2年目ぐらいに会社の同期ギタリストと管理人の2人からスタート。彼は初心者のためいろいろ教えながら。社員寮に音楽室があったのも幸いした。ただしボロボロだし、空調はついていないが。そこでCDに合わせて、ギターとベースを弾く。最終的にはhideの曲をコピーした。
マルチプレイヤーの子をサポートドラマーに、カラオケ好きな子をボーカルに迎えた。ふたりとも後輩で、音楽が好きという話を元に、近づいて仲間に誘い入れた! 音楽室で簡単なパンクをコピーした。壊れていたドラムセットも修復して。
そして会社の音楽部に入った。さっそく音楽部定期ライブに出ようと思ったが、ほかの3人のメンバーからストップがかかる。
「人前で演奏するのは恥ずかしい」
「ほかの参加の腕前を見てからにしよう」
「今のバンドのレベルでは厳しいのでは?」
そんな声が聞かれた。ということで、音楽部定期ライブに観客として参加。そうしたら、年配の方が多く、演奏もうまかった。演奏以外にもMC、演出がうまく、エンターテイメントがそこにあった。
これを受けて、
「演奏がとてもうまかった」
「やっぱりうちのバンドは出なくてよかった」
となってしまった。
さらに悪いことにサポートドラマーが、自身のバンドに集中するために脱退してしまった。ライブのハードルの高さと、ドラマー不在で、バンドメンバーのモチベーションは下がりまくり。練習にも身が入らない日々が続いた。
ドラマー募集の文面を作り、興味がありそうな人に声掛け、勧誘メッセージを送るようにとしたが。結果として、バンドメンバーは動くことはなかった。
管理人が同期のベーシストに声をかけ、ドラマーをやってほしいと口説いているときに、職場の同僚にドラム経験者を発見した。結果として、同僚がドラマーとして加入した。
遠くの大学でドラムをやっていたが、今のところに住んでから音楽から遠ざかっていた。そこにドラマー勧誘&ライブしようだったから、喜んで加入してくれた。
ドラマーが入って、しかもライブやる気満々だったから、ボーカルとギタリストのモチベーションも回復した。なによりドラマーに実力で失望されないように、一生懸命練習してくれているのが手に取るようにわかった。
ギタリストと2人で始めてから、3年でライブが実現した。管理人とドラマー以外は初ライブだった。管理人も学祭ライブは経験があったが、ライブハウスは未経験だった。
めっちゃ緊張した。ミスも多かった。でも、これまでのがんばりが報われた瞬間でもあった。ライブの振り返りをして、2回目のライブへ。メンバーが固まっており、1年かけて、ライブに向けた準備ができたのがよかった。コピーだけでなく、J-POPのバンドアレンジもした。やはり、緊張したが楽しかった。このバンドで毎年ライブができることを、実感した。
そして、3回目に向けてスタートしようとした矢先、ドラマーの転勤による長期離脱を告げられた。バンドはまた新しいドラマーを探し始めた。メンバーは相変わらず本気で探している感じが見られない。でも、大丈夫。そんな気がするのである。
ボーカルとギタリストとは、
「バンドを生涯の趣味としてやっていきたい」
という思いを共有できているから。
さらには一度ライブできたのだから、なんとかなるという思いもある。きっと大事なことは、最初の一歩を踏み出すことだと思うから。
蛇足であるが、学生時代からの「ステージに立てばモテる」という野望(?)は、いまだ果たせていない。ん~、なにかが足りないのだろうか。
教訓
- ドラマーを探すのは大変である。
- ライブでの演奏は楽しい。
- ライブハウスのステージ側からの眺めはよいし、
練習の成果を出す場所としてうれしい。 - 思いを共有することが大事である。
- 一度できれた体験があれば、続けられる。
続く・・・かも?
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